海外事情:ピッツバークよリ

(日本信頼性学会誌, Vol. 22, [3], pp.305-308, 2000.掲載;一部修正,2005)

カーネギーメロン大学客員研究員
石岡 恒憲

 2000年2月より11月まで、文部省長期在外研究員として、ピッツバーグ(アメリカ、ペンシルバニア州)にありますカーネギーメロン大学(CMU)コンピュータサイエンス学部Language Technologies Institute(LTI)を訪れております。小生は、統計手法を用いた自然言語に基づく文書検索・文書分類、およびフィルタリングの研究を行う予定であります。

1. ピッツバーグ

 アメリカ東部、五大湖の南にあるペンシルバニア州第2の都市がピッツバーグです。かつては鉄鋼の町として栄えましたが、いまでは商業と芸術、大学の町として有名です。都会でありながら治安がよく、アメリカでは最も住みやすい町のひとつだそうです。
 ピッツバーグにおける商業の中心地(ダウンタウン)は3つの川に囲まれたゴールデントライアングルと呼ばれる三角地帯ですが、ピッツバーグ大学やカーネギーメロン大学のある文教地域は、ダウンタウンの東側に位置する山の手のオークランド地区にあります。オークランド地区でひときわ目を引くのが、カセドラル・オブラーニング(学習の大聖堂)と呼ばれる42階建ての大聖堂で、世界で最も高い所にある教室として知られます。この地区には、他にもアメリカ6大博物館のひとつであるカーネギー博物館や美術館が存在し、郊外にはアンディウォーホール美術館(彼はピッツバーグ,CMU出身とのこと)や20世紀最高の建築家であるフランク・ロイド・ライトが設計した代表的な建築物である落水荘などがあり、文化都市としての一面を備えております。音楽の分野では、ピッツバーグ交響楽団は世界的につとに有名とのことであります。

2. カーネギーメロン大学コンピュータサイエンス・スクール

 コンピュータサイエンス・スクール(School of Computer Science; スクールという呼び方はビジネススクールやロースクールという呼び方と同じで大学卒業後の専門職課程のこと;日本では大学院に相当)は、以下の研究科、および研究機関より構成されます。
(1) The Center for Automated Learning Discovery(CALD):自動学習や知識発見についての研究センター。データマイニングや統計手法の活用を含んでいる。
(2) Computer Science Department(CS):古典的(!?)なコンピュータサイエンス学科
(3) The Human-Computer Interaction Institute(HCII):人間とコンピュータとの関わりありについての研究センター。マンマシンインターフェースだけでなく、知識創造のためのフルサイクルについて取り扱っている。
(4) The Language Technologies Institute(LTI):文書検索、言語処理、音声認識処理などについての研究センター。私はここに客員研究員として所属している。
(5) Entertainment Technology Center(ETC):娯楽、エンターテイメントのための技術センター。工芸、建築、ドラマ、デザインとコンピュータ科学技術との協調を主題とする。
(6) Institute for Software Research Institute(ISRI):ソフトウェア工学についての研究センター。実用的、大規模、高品質、集約的といった諸問題の解決をめざす。
(7) Robotics Institute(RI):ロボット技術の研究所。ここの所長が金出武雄教授。
 CMUにおけるコンピュータサイエンスの学科としての始まりは1965年で、1988年に学部(school)に発展しました。CMUは特にコンピュータサイエンスにおいて評価が高く、U.S. Newsにおける大学ランキング(コンピュータサイエンス ― PhD)では、以下の通り全米3位に位置付けられています(1,3,5,9位が2校づつあります)。
(1) マサチューセッツ工科大学 (1) スタンフォード大学
(3) カーネギーメロン大学 (3) カリフォルニア大学バークレイ校
(5) コーネル大学 (5) イリノイ大学アーバン・シャンペーン校
(7) ワシントン大学 (8) プリンストン大学
(9) ウィスコンシン大学マディソン校(9) テキサス大学オースティン校
 私の印象では、CMUは理論からかなり大規模な実際のシステム試作までの連続した新しい基礎技術、たとえばパラレル処理、ネットワーク技術、分散処理、ビジュアライゼーションなどのソフトウェア技術やロボットなどといった分野での評価が高いように思われます。事実、私の現在の研究テーマである自然言語処理技術においても、ジャストシステムが1998年に発売したコンセプトベースサーチのコア技術は、(私が現在所属するLTIの教授であった)エバンス博士が設立したクラリテック社のものであります。学問の成果が実用に生かされており、良い意味での産学協同の体制が整っているように感じられます。

3. 日本人社会

 キャンパスを歩いてまず驚くのは、非欧米人、とりわけアジア系の学生が多いことです。これはカリフォルニア大学バークレイ校でも同様だと教わりました。アメリカでは機会均等の考えが敷衍しているので、一般にいわれる難関校には、非欧米人の方が入学に有利、すなわち同じ学力や経歴なら非欧米人の方が入りやすいことが一因であることは、間違いなさそうです。
 そうとはいいましても、やはり日本人はマイノリティで、ここピッツバーグでも日本人のコミュニティが存在します。ピッツバーグに在住している日本人が長年にわたって維持管理している ピッツバーグ便利帳 は、ピッツバーグで生活するためのノウハウ集です。非常によくできていて、渡米前の準備から生活に必要なあらゆる情報が網羅されています。CMUの学生が中心となって保守しているようですが、そのボランティア精神には敬服いたします。また、ピッツバーグ在住者のためのメーリングリストが運営されており、ムービングセールなどの情報が頻繁に流れます。私もダイニングテーブルとAVボードを格安で手に入れました。
 海外生活において、住居は大きなウェートを占める部分でしょうが、当然のことながら、日本人、特に家族づれの多く住むアパートというものが存在します。企業からの研究員の場合は、家財道具一式を居抜きで引き継ぐ例もあるようです。このようなアパートは、いずれも内装がきれいで、部屋が広く、したがって家賃も高く、大家さんが日本人びいきであるわけですが、治安のあまり良い場所になかったり、大学が市の中心より外れているのに、さらに車で10-15分程度かかる郊外にあったりすることが少なくないようです。大家さんの戦略としては、日本人をよい客とみて、日本人の好む居住設定や対応をして日本人を囲い込んでいるのでしょう。 事実、日本人は金銭的に恵まれている方が多いでしょうし、靴を脱いで生活するので部屋を汚さないのでしょう。 日本人の方にしても、同じアパートに多くの日本人が住んでいるという安心感を好むという一面もあるかもしれません。
 もちろん、なかにはせっかくのアメリカ生活ということで、一軒家を借りて、おそらく日本の都会では望むべくもない優雅な住宅環境で暮らす方もおられます。反面、不便な面もあるでしょうけれども。大学に近いアパートを選ぶ人は学生に少なくありません。

4. 日本食について

 市内には唯一、日本食料品店(「東京」)があります。私自身は、「お米を食べなくても(パンだけでも)生きていける」をモットーとしており、海外旅行に来てまで日本料理店にいく人をなかば軽蔑しておりました。実際、ピッツバーグへ着いてから数週間は、大学への事務手続き、アパート探し、ソーシャルセキュリティ番号の取得、銀行口座の開設、研究室での環境設定、家財道具の購入などに忙殺され、食事はすべてレンジでチンしたものにパンという状態でした。
 やっと片付けるべきものが片付いて心に平安が戻ってきた頃、この東京商店で仕入れたお米を(炊飯器もないので)レンジで炊いて、買った味噌で味噌汁を作って食べた食事は、本当に胃袋に染みわたりました。おもわず、千昌夫の「味噌汁の歌」を口ずさんでいました。やはり日本人はご飯に味噌汁だなあ。私の日本人としての遺伝子がそう感じさせるのでしょうか。
 まだ、刺身は食べておりませんが、魚好きの私のこと、今度はどんな歌を口ずさんでしまうのでしょう。

5. 授業について

 せっかくアメリカの大学に在外研究できたのですから、大学ならではの授業を体験すべく、現在、「情報検索」の授業を聴講させていただいております。こちらはセメスター制で、1つの講義はだいたい週2回実施されるのが普通のようです。
 なにしろ驚くのは、その授業の密度の濃さです。教室の天井には液晶プロジェクターが、また黒板の上には投影用スクリーンが常設されており、授業は全てパワーポイントなどで作成されたスライドで進められます。板書する時間が節約されますから、サクサク講義が進みます。またこれらのスライドも全てpdfやps形式でWeb上に公開されておりますから、学生が必要以上にノートをとる必要がなく、内容の理解に努めます。
 しかも1-2年前の学会誌やカンファレンスの内容を系統だてて、1コマ80分、週2回行われるのですから、学生はついてゆくのが精一杯です。加えて宿題がでます。例年ソフトウェアプログラムの提出であるようですが、大体3,000〜4,000行のプログラムになるようです。
 これが15週30回進められます。30回の授業については全て(1回の講義ごとに!)予めシラバス(授業計画)が公開されており、質問が多いため長引いて一回の講義が予定通り進まなくても、次回はシラバス通りに実施されます。質問する方も、その覚悟で質問するわけで、まさに真剣勝負です。
 なにしろ、情報検索という非常に限られた話題について、このペースで30回講義が実施されるのですから、この内容をキャッチアップできるような学生は、すぐにでも国際会議で発表できてしまう素養が身についてしまうでしょう。なにしろOSやコンパイラなどといった広範なテーマではないのですから。日本で、このような授業ができる教官は果たしてどの程度いるでしょう。教官自身、一流の研究者でなければこのような授業ができるハズもなく、しかも一流のプレゼンターでなければ務まりません。授業の準備にかける熱意と授業の情報量には敬服します。
 次のセメスターには、同じ教官が別の講義を開く、という事実も驚きを倍にします。

(写真)カーネギーメロン大学(CMU)キャンパスにて、子供を抱えた著者。子供と著者の間にみえる建物がカセドラル・オブラーニング(世界で最も高いところにある教室)、画面中央にある鐘塔のある建物がハマースクラーグ・ホール(CMUを代表するホールのひとつ)。